神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

動き回った一日

2024年06月11日 19時56分50秒 | yottin日記
 今日は夏日で28.5度まで上がった、夕方もなお西陽は暑く、畑に水をやるでさえ汗をかいた。
午後7時半になっても二階のわが部屋は29度のまま、風も無く、ぼ~とした暑さに不快指数は上がるばかり。

退院後のブルーな気持ち、ネガティブなブログ日記とは裏腹に、日中の活動は、また元気を取り戻しつつある
朝は相変わらずの病人食を作り、10時からヘアカットに美容院へ行き、帰り道に病院へ寄って保険の手続きを済ませた。
また昼ご飯を作り、食べてからしばしテレビを見てから昼寝、しかし熟睡する前にかって取引があった業者から、自販機の引き取り日時の打ち合わせ電話が入って起きてしまった。
それで、もう寝る気も無くなり車に乗って、県の役所に自動車税の減免申請に行って来た、その後、入院時に励ましてくれた友人二人の会社と自宅、それぞれを訪ねて回った
戻ってくれば、もう夕食を作る時間で、仕込みをして自動調理機のボタンを押してから、庭の畑に出て野菜に水やり、ナスに追肥をした
そして夕飯を食べればもう夜だ、これから風呂に入って、ブログをチェックすれば、もう就寝時間の22時になる
夜はテレビを見ないから、自由時間は2時間ほどある、退院以降就寝は22時、疲れた時は21時に寝る
朝は4時過ぎに起きていたが、流石に意味も無く起きているのは体に良くないと、4時だろうが5時だろうが目が覚めても布団から出ないで、時には二度寝もする
朝は特にスローな時間をこころがけるようにしている。
明日は久しぶりにボランティアの会合に参加する、事前通告なしなのできっと驚くだろう、人を驚かせるのも趣味の一つなのである、悪趣味ではあるが・・。

今日の昼食はソーメンを食べた、「揖保乃糸」が一番好き

「グッド・バイブレーション、Good Vibrations」ビーチ・ボーイズ、THE BEACH BOYS





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(108) 長尾家 21

2024年06月11日 06時11分07秒 | 甲越軍記

             長尾為景討死

 再び、越後長尾勢は越中勢の罠に陥り、大軍も粉々に打ち砕かれ、日頃は勇武を競う強兵も、今は我先に逃げんとして右往左往する始末
大将、長尾信濃守為景は逃れるところがないと知ると、死賊となって群がる敵の中に喚き叫んで切り裂いて進んだ

神保左京進は千騎を率いて越後勢を斬りまくったが、遥か向こうに為景の姿を認めると、部下の中から精兵を選りすぐり「あれに見えるは敵の大将長尾為景である、あれ一騎を討ち取るは百騎、千騎の雑兵を討ち取るよりも勝るべし、手柄を立てよ」と励ますと、精兵は我先に為景めがけて馬を飛ばした。

為景は既に今日が最後と覚悟を決めたので、よせ来るこれら敵の精兵をもものともせず斬りまくり、早くも六、七騎をたちどころに切り落とした
阿修羅の様なその姿に、神保勢は誰一人近づくこともできず、遠くより矢を射かける、すでに為景は蓑の毛のように全身に矢を受けていたが、その勢いは少しも衰えない
神保勢が為景を恐れて道を開くと、今度は、それに代わって江波勢が為景に向かってきた
為景が頼りとする旗本、元吉八郎、渡邊備中、大郷新八郎らは切っ先を揃えて押し寄せる敵を薙ぎ立てていたが、それぞれに壮烈な討死を遂げた
なれど為景はただ一騎、数か所の傷を負いながらもなおも勇気凛々として少しもひるまず、ますます猛って江波勢を悩ませた

そこへ江波の勇士、江崎但馬が槍をしごいて為景に討って懸かる
為景は眼をクワッと開き、陽に開き、陰に閉じ上段下段と戦ったが為景の運もついにここに尽きた
但馬の槍を受け損じて胸板を貫かれ馬よりどっと落馬した
江崎但馬は駆け寄って馬乗りになって為景の首を取った

ここに長尾勢より容顔美麗なる若武者が一騎緋縅の鎧に、中二段を紫革にて縅したる、半月うちたる冑の緒を締め、片鎌の手槍をしごき、江崎を見て突いて懸かる
江崎但馬、槍を合わせて討ち合うところに「それがしにその敵を任せたたまえ」と神保勢の中から岡島太蔵が馬をかけて江崎に代わり、敵の若武者にかかったが、この若武者の槍先は鋭く、ついに岡島太蔵を突き落とし、なおも進んで討って回る
その槍先は当たりがたく、藤本三弥、水輪田之助、教来興次郎が若武者のために命を落としたほか手傷を負うたものも五、六人。
越中勢はわずか一騎の若武者を恐れて、遠巻きにこれを見る
若武者も、しばし馬を休め槍を休めて凛々しく立つ姿は、あたかも牛若丸の様である
見る者の目を驚かし、肝を冷やす

神保左京進は遠めにこれを見て「あれなるは為景の小姓に違いない、あたらあのように見事な若武者は殺すに忍びない、誰ぞ生け捕って儂の前に連れてくるように」と言えば、越石縫殿(こしいしぬい)がさっと馬を走らせて、若武者に挑みかかった。


 


前の生活、後の生活

2024年06月10日 21時13分15秒 | yottin日記
 春のドラマ「くるり誰が私と恋をした」を見ている
あるOLが階段から転落して記憶喪失になり、性格まで変わってしまう
以前は結構嫌な女だったらしいが、今は性格も良く周りからも愛される女性になっている
彼女を巡って三人の男が争奪戦を繰り広げるドラマ、そして多少のサスペンスもにおわせる。

まったく違う話になるが、私も入院前の生き方と、今の生き方がかなり違ってきたと自覚している
それより、入院前の自分が考えていたことや、やっていたことがだんだん記憶から抜けていく、しかも入院前の考えを否定し始めている
中途半端な断捨離で一向に進まなかったのが、今は未練も無くどんどん思い出の品や、生涯保存版だった品をゴミ箱に捨てている。
やはり死生観が大きく変わったのだと思う、かなりリアルに現実的に思うようになってきた
そうなると持っていても仕方ないものが見えてくる、更に言えば持っているものの80%は無くても良いものに思えて来た
何もない身軽さに今は魅力を感じている、これからはシンプルな生活が良いと思う。
もっと言えば、「年甲斐もなく」を結構やって来た、これからは「年齢通り」に生きていくのが楽だと思う。
「年甲斐もなく」とは年齢以上に無理をした状態であり、また煩悩をどんどん増やしていくことである
もう煩悩は卒業しよう、74歳と同時にこんなことになったのは、やはり天啓なのだと思わざるを得ない。
「スローな生活」も悪くない、好々爺で生きていくのがもっとも人間らしい生き方なのだと思う。

風に吹かれて・・・ボブ・ディラン

人生設計の変更

2024年06月10日 06時23分55秒 | 病気と健康
 初入院は父同様に80歳過ぎと勝手に決めつけていたのだが、まさか74歳でこうなるとは予想もしなかった。
まさに人生は一寸先が見えないのだと思った。
同級生の仲良しグループも15名ほどいるが、一昨年に元気印一番で、体育協会の県の理事をしていた、メンバー中一番若いY子がスポーツ審判中に倒れて半月後に亡くなったことはここでも書いた。
そして次いで元気印の私が大手術をしたので、友達の間にも少しショックがあったようだ
Y子といい、私と言い突然だったので毎日元気でいても、数時間後に命の危険が訪れる年代になった誰もが自覚せざるを得まい。

メンバーの中には遥か向こうから心臓や尿器を患って病院通いをしている人、乳がん、子宮がんと10年以上付き合いながら元気に暮らしている人
ヘルニア、骨折といとまない手術をしながら現役で働いている人、みな仲良しメンバーだ。
そして私もこの病気経験メンバーの仲間入りをしたというわけだ。

入院前には、一応人生設計があったのだ
八十歳までの6年間に行きたいところに行って見ようと考えて、その第一弾として6月か7月に一人で岡山、瀬戸内、伊予、高知、高松、奈良、伊賀、名古屋を6泊で回る計画が7割がたできていたのだ
しかし、それは水泡に帰した
その先は、資金的にも体力的にも衰退していくのであとは1泊、2泊のポイント旅行を年1~2回考えていた。

だが少なくとも半年間は大人しくすることになるだろう、ましてや1週間の旅をするなら1年後に体の具合を確認して、OKのお墨付きをもらわない限り駄目だろう。
このように弱気になったのも、これまで入院も手術も経験ない故だ、入院慣れしている人から見ればちゃんちゃらおかしいだろう。

さて今後1年、いや回復計画一期の秋までどのように暮らせばいいのか
もっとも楽しく暮らすにはどうすればいいのか、少し前向きに考える必要がある、それどころか今日一日をどう暮らすか、それが問題だ
無駄には過ごしたくない、だが入院前と体調は大きく変わってしまった
退院後は入院前と変わらないほどパワーがみなぎっていて、外出や家の中でのあれこれも散歩も積極的にやっていた
しかし一昨日、僅かな体調変化で病院に相談に行って見て、やはり今は療養中の身なのだと改めて知った。
やはり慌てず、スローな暮らし方が宜しい
それで目が覚めても、しばらくはベッドの中でまどろみ、早朝のけだるさを楽しむ
チュン太たちの催促も無視してゆっくり、ゆっくり
それからチュン太たちにご飯をやって、それをリクライニング椅子に座って15分ほど眺める
朝は、このパターンだな、あとは追々考えることにしよう。


柳ジョージ − For Your Love


静養の意味がわかった昨日

2024年06月09日 19時35分50秒 | yottin日記

  昨日の夕方 少し体調崩して 夕方6時 病院 へ 行ってきた 

それで 知ったのは 病み上がり というのは こういうことなんだ 無理をするなというの をこういうことなんだ ということがわかった 

いつも 自分で 判断して いるのだが 、今回はこんな症状が起きたので すぐに妹に電話して 相談したら 「病院へ電話して 相談するとか一番いい」と言われた そして「 もしかしたら『すぐ来なさい』と言うから 急ぎなさい 」その通りにやって 新しい薬を もらって 症状は収まった

「手術後の患者さんには普通にあることだから心配ない、慣れてください」と言われた 

今日になって 少しは 行動を 控えている、 そもそも 昼寝と寝る時以外は ベッドにはいないので、 これから1ヶ月くらいは ベッドで休む時間も 増やそうと思っている 

今日は 畑で 収穫 第1号が採れた 私が 入院してる間に 女房殿と 妹の2人で 苺を収穫したのを別としては、 この きゅうり 収穫が 今年の第1号だ。


私製の療養食

WILSON PICKETT - FUNKY BROADWAY (ATLANTIC)